主君耳入此法門免与同罪事
執筆年:文永十一
主君耳入此法門免与同罪事(四条第八書)
文永十一年九月。五十三歳作。与四条金吾書。
内一七ノ四五。遺一六ノ三一。縮一〇五八。類八六二。 銭二貫文給畢ぬ。
有情の第一の財は命にすぎず。此を奪者は必ず三途に堕つ。然ば輪王は十善の始には不殺生、仏の小乗経の始には五戒、其始には不殺生、大乗梵網経の十重禁の始には不殺生、法華経の寿量品は、釈迦如来の不殺生戒の功徳に当て候品ぞかし。されば殺生をなす者は三世の諸仏にすてられ、六欲天も之を守ることなし。此由は世間の学者も知れり、日蓮もあらあら得意て候。但し殺生に子細あり、彼被殺者の失に軽、重あり。我父母、主君、我師匠を殺せる者をかへりて害せば、同じつみなれども重罪かへりて軽罪となるべし。此れ世間の学者知れる処なり。但し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ。五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く。仙豫国王、有徳国王は五百無量の法華経のかたきを打て今は釈迦仏となり給ふ。其御弟子迦葉、阿難、舎利弗、目連等の無量の眷属は、彼時に先を懸け陣をやぶり、或は殺し或は害し、或は随喜せし人人也。覚徳比丘は迦葉仏也。彼時に此王、王を勧めて法華経のかたきをば、父母宿世叛逆の者の如くせし大慈大悲の法華経の行者也。今の世は彼の世に当れり。国主、日蓮が申事を用るならば彼がごとくなるべきに、用ひざる上かへりて彼がかたうどとなり、一国こぞりて日蓮をかへりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆五逆に過たる謗法の人となりぬ。されば各各も彼が方ぞかし。心は日蓮に同意なれども身は別なれば、与同罪のがれがたきの御事に候に、主君に此法門を耳にふれさせ進せけるこそありがたく候へ。今は御用なくもあれ、殿の御失は脱れ給ひぬ。此より後には口をつつみておはすべし。又天も一定、殿をば守らせ給らん。此よりも申也。かまへてかまへて、御用心候べし。いよいよにくむ人人ねら(狙)ひ候らん。御さかもり(酒宴)夜は一向に止給へ。只女房と酒うち飲でなにの御不足あるべき。佗人のひる(昼)の御さかもり、おこたる(油断)べからず。酒を離れてねらうひま(隙)有るべからず。返す返す。恐恐謹言。
九月二十六日 日蓮花押
左衛門尉殿御返事
(啓二七ノ八九。鈔一七ノ四一。語三ノ二三。扶一〇ノ三八。拾四ノ二二。)