与極楽寺良観書
執筆年:文永五
西戎大蒙古国簡牒の殊に就いて、鎌倉殿、其の外へ書状を進らせしめ候。
日蓮去る文応元年之比、勘へ申せし立正安国論の如く、毫末計りも之に相違せず候。此の事如何。
長老忍性、速やかに嘲弄之心を翻し、早く日蓮房に帰せしめ給へ。もし然らずんば、軽賎人間者 与白衣説法之失、脱れ難き歟。
依法不依人とは如来の金言也。良観聖人の住処を法華経に説きて云く_或有阿練若 納衣在空閑〔或は阿練若に 納衣にして空閑に在って〕。阿練若は無事と翻す。争でか日蓮を讒奏する之条、住処と相違せり。併せながら三学に似たる矯賊の聖人也。僣聖増上慢にして、而も今生は国賊、来世は那落に堕在せんこと必定矣(ならん)。聊かも先非を悔いなば日蓮に帰すべし。此の趣は鎌倉殿を始め奉り、建長寺等、其の外へ披露せしめ候。
所詮、本意を遂げんと欲せば、対決に如かず。即ち、三蔵浅近之法を以て諸経中王之法華に向ふは、江河と大海と華山と妙高との勝劣の如くならん。蒙古国調伏の秘法、定めて御存知有るべく候歟。
日蓮は日本第一の法華経の行者、蒙古国退治の大将為り。於一切衆生中。亦為第一〔一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕とは是れ也。
文言多端、理を尽くす能わず。併せながら省略せしめ候。恐恐謹言。
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押
謹上 極楽寺長老良観聖人 御所