上野殿御返事
執筆年:建治三年
真筆あり
五月十四日にいものかしら一駄、わざとをくりたびて候。当時のいもは人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし。
さておほせつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。尹吉甫と申せし人はただ一人子あり、伯奇と申す。をやも賢也。子もかしこし。いかなる人かこの中をばたがふべきとおもひしかども、継母より、よりよりうた(訴)へしに用ひざりしほどに、継母すねん(数年)が間やうやうのたばかりをなせし中に、蜂と申すむしを我がふところに入れて、いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけさう(懸想)すると申しなしてうしなはんとせし也。
びんばさら王と申せし王は賢王なる上、仏の御だんなの中に閻浮第一也。しかもこの王は摩竭提国の主也。仏は又此の国にして法華経をとかんとおぼししに、王と仏と一同なれば、一定法華経をとかれなんとみへて候ひしに、提婆達多と申せし人、いかんがして此の事をやぶらんとおもひしに、すべてたよりなかりしかば、とかうはかりしほどに、頻婆沙羅王の太子阿闍世王を、としごろとかくかたらひて、やうやく心をとり、をやと子とのなかを申したがへて、阿闍世王をすかし、父の頻婆沙羅王をころさせ、阿闍世王と心を一にし、提婆と阿闍世王と一味となりしかば、五天竺の外道悪人雲かすみのごとくあつまり、国をたび(給)、たからをほどこし、心をやわらげ、すかししかば、一国の王すでに仏の大怨敵となる。
欲界第六天の魔王、無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり。大風の草木をなびかすよりも、大風の大海の波をたつるよりも、大地震の大地をうごかすよりも、大火の連宅をやくよりも、さはがしくをぢ(畏)わなゝきし事也。さればはるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ、釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす。阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ。或は道に伏兵をすへ、或は井に糞を入れ、或は女人をかたらひてそら事いひつけて仏弟子をころす。舎利弗・目連が事にあひ、かるだい(迦留陀夷)が馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏九十日、馬のむぎをまいりしこれ也。世間の人おもはく、悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひ、信じたりし人々も音をのみてもの申さず、眼をとぢてものをみる事なし。ただ舌をふり、手をかきし計り也。結句は提婆達多、釈迦如来の養母蓮華比丘尼を打ちころし、仏の御身より血を出だせし上、誰の人かかたうどになるべき。かくやうやうになりての上、いかがしたりけん、法華経をとかせ給ひぬ。
此の法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕と云云。文の心は、我が現在して候だにも、此の経の御かたきかくのごとし。いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をや、と説かれて候也。此れをもておもひ候へば、仏、法華経をとかせ給ひて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども、いまだ法華経を仏のごとくよみたる人は候はぬか。大難をもちてこそ、法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候ひしかども、在世のごとくの大難なし。ただ南三北七・南都七大寺の小難なり。いまだ国主かたきとならず、万民つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに、同じ程の難だにも来らず、何に況んやすぐれたる大難多難をや。虎うそぶけば大風ふく、龍ぎん(吟)ずれば雲をこる。野兎のうそぶき、驢馬のいはうるに風ふかず、雲をこる事なし。愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は国もさわがず、事もをこらず。聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候。今、日蓮は賢人にもあらず、まして聖人はおもひもよらず。天下第一の僻人にて候が、但経文計りにはあひて候やうなれば、大難来り候へば、父母のいきかへらせ給ひて候よりも、にくきもののことにあふよりもうれしく候なり。愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ、うれしき事にて候へ。智者たる上、二百五十戒かたくたもちて、万民には諸天の帝釈をうやまふよりもうやまはれて、釈迦仏・法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろし、おそろし。
さるにては、殿は法華経の行者ににさせ給へりとうけ給はれば、もつてのほかに人のしたしきもうときも、日蓮房を信じてはよもまどいなん。上の御気色もあしかりなんと、かたうど(方人)なるやうにて御けうくむ候なれば、賢人までも人のたばかりはをそろしき事なれば、一定法華経すて給ひなん。なかなか色みへてありせばよかりなん。大魔のつきたる者どもは、一人をけうくんし、をとしつれば、それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。日蓮が弟子にせう(少輔)房と申し、のと(能登)房といゐ、なごえ(名越)の尼なんど申せし者どもは、よくふかく、心をくびやうに、愚痴にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。
さればこの甲斐の国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。なかなかしき人の信ずるやうにて、なめり(乱語)て候へば、人の信心をもやぶりて候也。ただをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。爾時、我も本より信じたり信じたりと申す人こそ、をゝくをはせずらんめとおぼえ候。御信用あつくをはするならば、人のためにあらず。我が故父の御ため、人は我がをやの後生にはかはるべからず。子なれば我こそ故をやの後生をばとぶらふべけれ。郷一郷知るならば、半郷は父のため、半郷は妻子眷属をやしなふべし。我が命は事出できたらば上にまいらせ候べしと、ひとへにおもひきりて、何事につけても言をやわらげて、法華経の信をうすくなさんずるやうをたばかる人出来せば、我が信心をこゝろむるかとおぼして、各々これを御けうくんあるはうれしき事也。ただし、御身のけうくんせさせ給へ。上の御信用なき事はこれにもしりて候を、上をもておどさせ給ふこそをかしく候へ。参りてけうくん申さんとおもひ候ひつるに、うわて(上手)うたれまいらせて候。閻魔王に、我が身といとをしとおぼす御め(妻)と子とをひつぱられん時は、時光に手をやすらせ給ひ候はんずらんと、にくげにうちいひておはすべし。
にいた(新田)殿の事、まことにてや候らん。をきつ(沖津)の事、きこへて候。殿もびんぎ候はば、其の義にて候べし。かまへておほきならん人申しいだしたるらんは、あはれ法華経のよきかたきよ。優曇花か、盲亀の浮木かとおぼしめして、したたかに御返事あるべし。千丁万丁しる人も、わづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり。
今度法華経のために命をすつる事ならば、なにはをしかるべき。薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給ひ、檀王は千歳が間身をゆか(牀)となして今の釈迦仏といわれさせ給ふぞかし。さればとてひが事をすべきにはあらず。今はすてなば、かへりて人わらわれになるべし。かたうど(方人)なるやうにてつくりをとして、我もわらい、人にもわらわせんとするがきくわひなるに、よくよくけうくわんせさせて、人の多くきかんところにて人をけうくんせんよりも、我が身をけうくんあるべしとて、かつぱとたたせ給へ。一日二日が内にこれへきこへ候べし。事おほければ申さず、又々申すべし。恐恐謹言。
五月十五日 日 蓮 花押
上野殿御返事いまた法華経を仏のことくよみたる人は候はぬか。大難をもちてこそ法華経しりたる人とは申
小難なり。いまた国主かたきとな
今の釈迦仏といわれさせ給そかし。されはとてひか事をすへきにはあらす。今はすてなは、かへりて人わらわれになるへし。かたうとなるやうにてつくりをとして、我もわらい人にもわらわせんとするかきくわひなるに、よくよくけうくわんせさせて、人の多くき
万氏<万民>つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。滅後に法華経を信人は在世の大難よりもすぐべく候なるに、同程の難だにも来らず、何況やすぐれたる大難多難をや。虎うそぶけば大風ふく、と