三沢鈔
執筆年:建治四
三沢鈔(三沢第二書)
建治四年二月。五十七歳作。真蹟在京都妙覚寺。
内一九ノ二〇。遺二四ノ三四。縮一七〇二。類五七八。 かへすがへす、するが(駿河)の人人みな同じ御心と申せ給候へ。柑子一百、こぶ(昆布)、のり(海苔)、をご(於胡)等の生の物、はるばるとわざわざ山中へをくり給て候。ならびにうつぶさ(内房)の尼ごぜんの御こそで(小袖)一給候了ぬ。
さてはかたがたのをほせ(仰)くはしくみほどき(見解)候。抑仏法をがく(学)する者は大地微塵よりをほけれども、まことに仏になる人は爪上の土よりもすくなしと、大覚世尊涅槃経にたしかにとかせ給て候しを、日蓮みまいらせ候ていかなればかくわ、かた(難)かるらむとかんがへ候しほどに、げにもさならむとをもう事候。仏法をばがく(学)すれども或は我が心のをろかなるにより、或はたとひ智慧はかしこきやうなれども師によりて我心のまがる(曲)をしらず。仏教をなを(直)しくならひ(習)うる事かたし。たとひ明師並に実経に値奉りて正法をへ(得)たる人なれども、生死をいで仏にならむとする時には、かならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく、三障四魔と申て七の大事出現す。設ひからくして六はすぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし。其六は且くをく。第七の大難は天子魔と申物なり。設ひ末代の凡夫一代聖教の御心をさとり、摩訶止観と申大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候ぬれば、第六天の魔王此事を見て驚きて云、あらあさましや此者此国に跡を止ならば、かれが我身の生死をいづるかはさてをきぬ。又人を導くべし。又此国土ををさへとり(押取)て我土を浄土となす、いかんがせんと候て、欲、色、無色三界の一切の眷属をもよをし(催)仰せ下して云、各各ののうのう(能能)に随てかの行者をなやまし(悩)てみよ。それにかなわずば、かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入かわりて、あるひはいさめ(諌)、或はをどし(威)てみよ。それに叶はずば我みづからうちくだりて、国主の身心に入かわりてをどして見むに、いかでかとどめ(止)ざるべきとせんぎ(僉議)し候なり。日蓮さきよりかゝるべしとみほどき(見解)候て、末代の凡夫の今生に仏になる事は大事にて候けり。釈迦仏の仏にならせ給し事を経経にあまたとかれて候に、第六天の魔王のいたしける大難いかにも忍ぶべしともみへ候はず候。提婆達多、阿闍世王の悪事は、ひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみて候へ。まして「如来現在猶多怨嫉況滅度後」と申て、大覚世尊の御時の御難だにも、凡夫の身、日蓮にかやうなる者は片時一日も忍がたかるべし。まして五十余年が間の種種の大難をや。まして末代には此等は百千万億倍すぐべく候なる大難をば、いかでか忍び候べきと心に存じて候しほどに、聖人は未萠を知と申て、三世の中に未来の事を知をまことの聖人とは申なり。而に日蓮は聖人にあらざれども日本国の今の代にあたりて、此国亡亡たるべき事をかねて知て候しに、此こそ仏のとかせ給て候「況滅度後」の経文にあたりて候へ。此を申いだすならば仏の指せ給て候未来の法華経の行者なり。知て而も申さずば世世生生の間、をうし(?)ことどもり(?)生れん上、教主釈尊の大怨敵其国の国主の大讎敵佗人にあらず。後生は又無間大城の人此なりとかんがへみて或は衣食にせめられ、或は父母、兄弟、師匠、同行にもいさめられ、或は国主、万民にもをどされしに、すこしもひるむ(撓)心あるならば一度に申し出さじと、としごろ(年来)ひごろ(日来)心をいましめ候しが、抑過去遠遠劫より定て法華経にも値奉り菩提心もをこしけん。なれども設ひ一難、二難には忍びけれども、大難次第につづき来りければ退しけるにや。今度いかなる大難にも退せぬ心ならば、申出すべしとて申出て候しかば、経文にたがわず此の度度の大難にはあいて候しぞかし。今は一こうなり、いかなる大難にもこらへてんと我身に当て心みて候へば、不審なきゆへに此山林には栖候なり。各各は又たといすてさせ給とも一日かたときも我が身命をたすけし人人なれば、いかでか佗人にはに(似)させ給べき。本より我一人いかにもなるべし。我いかにしなるとも心に退転なくして仏になるならば、とのばら(殿原)をば導きたてまつらむと、やくそく(約束)申て候き。各各は日蓮ほども仏法をば知せ給ざる上俗なり。所領あり、妻子あり、所従あり、いかにも叶がたかるべし。只いつわりをろか(偽愚)にて、をはせかしと申し候きこそ候へけれ。なに事につけてか、すて(捨)まいらせ候べき。ゆめゆめをろか(疎)のぎ(儀)候べからず。又法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。此国の国主我代をもたもつ(持)べくば、真言師等にも召合せ給はんずらむ。爾時まことの大事をば申べし。弟子等にもなひなひ(内内)申ならば、ひらう(披露)してかれら(彼等)しり(知)なんず。さらばよもあわ(合)じとをもひて各各にも申ざりしなり。而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず。其故は仏制して云く「我滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり。日蓮は其御使にはあらざれども、其の時剋にあたる上、存外に此法門をさとりぬれば、聖人の出させ給ふまでまづ序分にあらあら申なり。而に此法門出現せば、正法、像法に論師、人師の申せし法門は、皆日出て後の星、光巧匠の後に拙を知るなるべし。此時には正、像の寺堂の仏像、僧等の霊験は皆きへうせ(消失)て、但此大法耳一閻浮提に流布すべしとみへて候。各各はかかる法門にちぎり(契)有人なれば、たのもしとをぼすべし。又うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ(年老)給て御わたりありし。いたわしく(痛)をもひまいらせ候しかども、うぢがみ(氏神)へまいり(参)てあるついでと候しかば、けさん(見参)に入るならば定てつみ(罪)ふかかるべし。其故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候。其上尼の御身になり給てはまづ仏をさき(先)とすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、けさんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず。其外の人人もしもべ(下部)のゆ(温泉)のついでと申者を、あまたをひかへし(追返)て候。尼ごぜんはをや(親)のごとくの御とし(齢)なり。御なげき(歎)いたわしく候しかども、此義をしら(知)せまいらせんためなり。又との(殿)はをとゝし(一昨年)かの(彼)けさんの後そらごとにてや候けん、御そらう(所労)と申せしかば、人をつかわしてきかん(聞)と申せしに、此御房たちの申せしはそれはさる事に候へども、人をつかわしたらば、いぶせ(不審)くやをもはれ候はんずらんと申せしかば、世間のならひはさもやあるらむ。げん(現)に御心ざしまめ(実)なる上、御所労ならば御使も有なんとをもひしかども、御使もなかりしかば、いつわりをろかにてをぼつかなく候つる上、無常は常のならひなれどもこぞ(去年)ことし(今年)は、世間はう(法)にすぎてみみへまいらすべしともをぼほ(覚)へず。こひし(恋)くこそ候つるに御をとづれ(音信)ある、うれしとも申計なし。尼ごぜん(御前)にもこのよしをつぶつぶ(委細)とかたり申させ給候へ。法門の事こまごまとかきつへ(書伝)申べく候へども、事ひさしくなり候へばとどめ候。ただし禅宗と念仏宗と律宗等の事は、少少前にも申て候。真言宗がこと(殊)に此国とたうど(唐土)とをばほろぼして候ぞ。善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、弘法大師、慈覚大師、智証大師、此六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷惑せしのみならず、三三蔵事をば天竺によせて、両界をつくりいだし狂惑しけるを、三大師うちぬかれて日本へならひわたし(習渡)、国主並に万民につたへ、漢土の玄宗皇帝も代をほろぼし、日本国もやうやくをとろへ(衰)て八幡大菩薩の百王のちかい(誓)もやぶれて、八十二代隠岐法王、代を東にとられ給しは、ひとへに三大師の大僧等がいのり(祈)しゆへに「還著於本人」して候。関東は此悪法、悪人を対治せしゆへに、十八代をつぎて百王にて候べく候つるを、又かの悪法の者どもを御帰依有ゆへに、一国には主なければ梵釈、日月、四天の御計として、佗国にをほせ(仰)つけてをどして御らむ(覧)あり。又法華経の行者をつかわして御いさめあるを、あやめずして彼の法師等に心をあわせて、世間、出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給ふ。すでに時すぎぬれば此国やぶれなんとす。やくびやう(疫病)はすでにいくさ(軍)にせんふ(先符)せわ(ば)またしるしなり。あさまし、あさまし。
二月二十三日 日蓮花押
みさわどの
(啓二八ノ五一。鈔一七ノ六八。註一八ノ四一。語三ノ三一。音下ノ二五。拾四ノ四四。扶一〇ノ五九。)